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LongView NO.175




目次



パラチオン

 パラチオン。久しぶりにこの名前を聞きました。中国産の冷凍餃子(ギョーザ)から発見された禁止農薬の問題で、中国産の他の冷凍食品を検査していたときに発見されたらしいです。いわゆる残留農薬です。このパラチオンという農薬は、日本では昭和46年に使用が禁止されているそうですから、もう30年以上前のことです。しかし、私がこの農薬のことを知ったのはもっと前、小学校低学年の頃になります。


 ある日、担任の教師が、黒板に大きく「パラチオン」と書き、「今年から、この薬を田圃(たんぼ)にまきます。だからみんなは田圃に入って遊んではいけません」といったのです。要するに、その頃の私たち子供が何気なく遊んでいたことのひとつが禁止されたというだけなのですが、それ以上に、なんとなく言葉にならない気味のわるさを感じて、私は、今でもこのことを強く覚えています。今考えてみると、大げさにいえば無邪気な幼児の世界に外から理解できない巨大なモンスターが入りこんできたようなショックだったのではないかと考えています。


 それまでの子供たちといえば、春になって水の中にゼリー状のカエルの卵を見つけるようになると、田圃に入って、文字通り泥だらけでザリガニやドジョウやタニシを捕まえ、あぜ道では大きなバッタを追いかけていたのです。多分、稲の育つ間は水田の中の用水路(小川)や水田の上にあった雑木林で遊び、秋になって刈り取りの終わった田圃にまた入っていったのだと思います。しかし、その日から「パラチオン」の撒かれた水田にも、その水田と結ばれた用水路にも入ることはできず、それどころか、子供たちの目当ての生物もあっというまにいなくなってしまいました。


 40年後の今、当時の子供の世界を奪ってしまったモンスターは、この農薬だけでなかったことははっきりしています。それではいま、何が可能なのか。答えは残念ながらひとつではありません。


 例えば、農薬といえば私たちは(上記のパラチオンのように)一般的に有害=使用しないほうがよいというイメージを持ちます。しかし、そう一概にいかないところが環境問題の難しいところなのです。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』は、それまで知られていなかった農薬・DDTの残留性や生態系への影響を告発し社会に大きな影響を与えてた本として有名ですが、最近の情報によれば、最新の科学的知見から見るとその主張の根拠のいくつかの根拠が薄れたということがいわれています。


 また、DDT禁止は、マラリア撲滅という視点から見るとむしろ後世に悪影響を与えたのではないかという指摘も存在しているそうです。太平洋戦争中のアメリカ軍はDDTなどで蚊の発生を抑えてしまいましたが、せいぜいよくて蚊帳しかなかった日本軍はマラリアで多数の死者を出したことは知られていますが、現在でも(アフリカなど熱帯地域を中心に)DDTによる中毒者よりマラリアで死ぬ人間(特に子供)のほうが圧倒的に多いことが一部の学者により主張されているのです。いっぽうで、DDTが禁止されたことで耐性を持つ蚊の増加を抑えることになったので意味があったいう反論もあるそうで、真実はわかりません。農薬という文明が自然を破壊することは確かなのですが、いっぽう人間の文明それ自体が自然を破壊することによって成り立っているという根本の矛盾があるからなのです。



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再び「エンデュランス号の冒険とシャクルトン」

 20世紀初頭に行われた“ある南極探検事業”がブームになったことがあります。もう6年も前のことです。これについて、私は、このメールマガジンの第110号(2001/8/13)で、『エンデュアランス号漂流(原題 : ENDURANCE)』の感想として書いたことがあります。その時の私は単純にこの記録の迫力に圧倒されただけでしたが、1986年に出版されたこのノンフィクションが、20世紀末のブームの火付け役になっていたのは確かなようです。このエンデュアランス号の漂流については、当のシャクルトンの書いた記録も翻訳(『エンデュアランス号 規則の生還』)があり、これも面白く、私は繰り返し読んでいました。ただ、『エンデュアランス号漂流』には少し写真がありますが、いずれも文章主体の記録に主体をおいたものでした。


 最近、ほぼ同じ時期に発表されていた2つの本『エンデュアランス号 シャクルトン南極探検の全記録』と『史上最強のリーダー シャクルトン』の2冊を読む機会があり、探検時の実際の写真と、少し観点を変えたリーダー像としてのシャクルトンについてのエピソードを知ることができました。これまた新鮮な驚きでした。

 エンデュランス号の探検について、あらためて説明すると、第一次世界大戦のころ、南極大陸横断に挑戦した探検隊が沈没した船を捨て、揺れ動く流氷と荒れる海を乗り越えて17か月後に全員無事で生還を果たすという実際の記録です。この探検隊を指揮して、無事全員生還を果たしたのがアーネスト・シャクルトンで、冒険記録というよりは、絶望的な状況のなかで一人の犠牲者を出すことのなかった、このアーネスト・シャクルトンが、世紀末の絶望した時代への新しいリーダー像として政治家、軍人、企業家などにより再評価されたということが事実に近いようです。


 例えば『史上最強のリーダー シャクルトン』では前記の2冊の本には出ていない実務家としてのシャクルトンのことがよくわかります。今でもそうでしょうが、冒険・探検には膨大な資金が必要で(国家的な支援のある事業を除けば)ほとんどの冒険家は冒険に出かけるまでの、この資金集めのほうがむしろ大変なのだそうです。約100年前のこの時代にもそれは同じことで、シャクルトンは、政府からの援助が乏しい中、ほとんどの資金を民間にたより、探検旅行の記録や写真の公表権利を事前に売ったり、篤志家の寄付をうけたりしています。例えば、南極海を渡り有名になるボート「ケアード号」の名前も最大のスポンサーの名前をつけています。


 一方、『エンデュアランス号 シャクルトン南極探検の全記録』はアメリカ自然史博物館での展示のイベントのひとつとして出版されたもののようで、集められた写真が数十点挿入されている一種の写真集のようになっています。極限の体験の中で撮影されたこの写真の驚くほどの芸術性の高さは、この旅行にプロの写真家がいたことに加えて、今述べたように、無事生還した場合の(出版や講演での)記録の価値を高め、返済計画に役立てようとしたためのようです。同様に日誌もたくさん残っています。生存者が多かったことに加えて、これが後年になって多くの記録が出されることの理由のひとつです。


 

 そうはいっても、彼らの遭難を(世界中の)誰も知らず、連絡する通信手段もまったくなかったという当時の生きるか死ぬかという極限の中でのこの事実は本当に信じられないことなのですが、こうした危機のなかでも平常心を失わないチーム管理と落ち着いた指揮が指導者・シャクルトンの名声につながったということがいえます。それにしても、写真で明らかにされている事実の重み──特に、荒れる冬の南極海を1280キロも航海したボート=ケアード号のなんと小さく貧弱なことにあらためて感動します。また、後のアポロ13号のときもそうですが、欧米人はこうした失敗にこそ学ぶことが多いと思っているようです。(写真は『エンデュアランス号 シャクルトン南極探検の全記録』より



 冒険といえば、今年の1月末に熱気球での世界初の太平洋横断に挑んだ埼玉県の神田道夫さんは、2日後に行方不明になり、その後の消息がありません。神田道夫さん(私と同年齢です)の話を聞いたことがありますが、冒険に不可欠の出発や中止のタイミングに余計な判断をいれないように、スポンサーをつけず、支援者などと一緒に作成した気球で飛ぶし、引き返すことを怖がってはいけないといっていました。意外な結果にはなってしまいましたが、しかし、冒険とはこういうもの。自分の選んだ道なのですから同情しては失礼だという気がします。

 
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