自費出版の豊かな世界 その1


日本の国際化を支えた技術者の記録

 戦後60年の今年、さまざまな企画が新聞やテレビに流れましたが、その多くは60年前の敗戦前後の悲惨な体験を中心にしたものでした。私は、本当の戦後60年はこれから語られると思っています。なぜなら、戦中・戦後すぐに生まれ、戦後から現在までの日本の復興・経済成長を成し遂げた多くのひとたちの記録はこれから書かれるからです。人口の多数を占める団塊の世代はすべてこれに属します。彼らの多くは、企業の中核として、産業・業界を支え、内にあっては新しい家族制度を作り上げました。その結果に議論はありますが、その歴史や伝承すべき技術や経験は当事者によって、多くの場合自費出版物として発行されています。

 2003年に『僕の出張』を出版した田村正勝氏は、1960年に松下電器産業に技術者として入社。以来、2001年の退職まで、無線通信機器の開発・設計に従事しました。特に1970年代以降、通信システムの海外販売に伴い、アジア、イスラム世界に長期の単身赴任をして現地の人々への技術研修を行った時の経験は田村さんの心に強く残りました。定年退職後、自分の生きてきたこれまでの人生体験をまとめてみようと思った田村さんは、就職以来の故郷の父母との手紙などをもとに1冊の本を手作りしたのですが、これが他人に感動を与えることができることに感激、今度は仕事で行った海外での体験を書こうと思ったそうです。

 最初の渡航は1976年、マレーシア。羽田空港まで見送りが来る時代でした。英語も自由に話せない中でも田村さんは様々な体験を重ねていきます。慣れない外国での生活習慣の違いによる失敗談から、さまざまな現地の人たちとの交流、その中で生まれてきた信頼と友情が、多くのエピソードとともに紹介されています。戦後の経済成長の時代、海外に進出していく日本企業の尖兵としてのサラリーマンの苦労とその反面の喜びがあふれているような感じです。当時、日本赤軍が世界中でテロを起こしていた関係もあり、かなり危険な目にあう日本人がいたことも分かります。
 この後、田村さんは、アジア新興諸国の発展とともに20数年間にわたり、アラブ首長国連邦、タイ、香港、中国などを訪れることになります。そして、それぞれの国でも貴重な体験をし、小さな国際親善も果たします。

 この記録は、日本(企業)の国際化を草の根で実現させた技術者の歴史です。そして、エコノミックアニマルなどと揶揄されましたが、戦後の日本の国際化は、こうした多くの善意あふれる心優しいひとたちの努力で達成されたものなのだ、ということがよくわかります。これは、政治や経済をマスメディアを通して見ているだけではなかなか理解できないものです。

 面白いもので文章には書く人の人柄があらわれます。特にこうしたエッセイ風の自由なテーマの場合、その人が人間や社会をどうみているかが無意識に出て、読む人に印象をあたえます。田村さんの場合もこうした長い文章を書くのは本当に初めてだったようで、かなりのくせがありました。しかし、編集の段階であまりそれを直そうとはしませんでした。田村さんの個性があらわれる文章だと感じたからです。

 海外だけでなく、日本国内でもたくさんの人たちの活躍がありました。こうした記録はこれからますます増えていくと考えられます。