自費出版の豊かな世界 その2


60年の生涯を短歌に

 短歌や俳句などは今でも人気のある表現形式です。また、長年にわたって書き続けている方も多いようで、書き溜めた歌を1冊の本にまとめることは、歌人としての目標にもなっています。三年ほど前に亡くなった安岡正利氏もそのひとりであったようですが、生前には一冊の歌集も出すことができませんでした。そこで、夫人と三人の娘さんが1周忌の記念にと発行を企画し、今年春にごく小部数が発行されました(歌集『うつしみ』上下巻)。「一つ一つの歌に故人の想いが感じられて選び取ることができず、残された七冊のノートそのままを短歌集にいたしました」と「はじめに」の中で家族が書いています。確かに、最終原稿となった七冊のノートには昭和二十四年から平成十五年までの五十五年間の膨大な創作活動の軌跡である四千首余の短歌が年度別に記録されています。家族には、読み返すたびに思い出が蘇ってくるのでしょう。
  青インクが薄くなるほどの年月を経た最初の頃のノートには、氏が結婚して、子が生まれ、当時の苦しい日々の生活のなかで詠んだ歌があり、そこには、まぎれもない生活の実感があふれています。
  • 佃煮を買はむと探るポケットに十円札が二枚しかなし
  • 艶やかにメロン白桃輝ける店頭に立ち眺めたるのみ
  • 二カ月無事に経にけるみどり子のひたひの旋毛われに似てをり
 いずれも、昭和二十四年から二十七年くらいの生活で、こうしたなかに
  • 生業のペンの重さは嘆くまじ銃の重さも耐へてありしを
  • 夜毎に狐啼く声しみじみとふるさと恋ほし涙流れき
 など、氏の生涯のテーマとなる「戦争」と「故郷・佐渡」が出てきます。これは五十五年間変わることがありません。人間というのは、半世紀以上を生きて姿・形は大きく変わっても、心の中は子供の頃と変わらないのではないか。この上下二巻の中に収められた短歌を読んでその思いを強くします。

 短歌は日常生活を記録するのが目的ではありませんが、ひとは時代の中で生き、日々生活している以上、それが作る短歌に反映します。個人的な出来事のほかに、社会状況がわずかにみえてくる歌があります。
  • 戦後長き十五年経て刺殺者がふたたび見する暗き深渕
  • 五輪の旗翻る空蒼澄みて子のあくがれし秋晴れの午後
  • 戦後ながき二十七年を密林にひそみ生きしか兵還るなり
 浅沼稲次郎暗殺(昭和三十五年)、東京オリンピック(昭和四十年)、横井庄一さん帰国(昭和四十七年)で、年配の人には思い出の多いできごとでしょう。安岡氏の短歌の基調はこうした時事的なものではありませんが、このように、長年にわたって書かれた短歌は、ある種の自分史のように見えることがあります。

 安岡氏が出版するつもりで、ていねいな書き直しをしたノートは比較的最近の歌が多いのですが、芸術的完成度の高い短歌よりも、生活や人生の実感が滲んでくる、こうした歌に心ひかれるものがあるのはなぜでしょうか。