自費出版の豊かな世界 その3

 自分の一生を記録する、いわゆる「自分史」が盛んになっています。全国各地で行われている生涯学習プランのひとつとしての自分史講座のお知らせを目にした方も多いでしょう。自分史というと男性はやはり仕事などが中心になるようですが、家庭にいることの多い女性の場合は、自分のこともさることながら、父母や親類を含めた一族のこと、その関係を書いておきたいという気持ちが強いようです。

 平成15年に『残映有情 心に残る私の人生譜』を出版した稲垣ゆかりさん(千葉県在住)もその動機のひとつが父親への深い愛情と尊敬の気持ちだったことは間違いありません。全部で5章にわけられた内容の第1章が、父・山田直氏とその恩師であった日本近代文学の異才・會津八一との交流を中心とした内容になっていることでも分かります。詳しいいきさつは不明ながら會津八一と山田氏は深い師弟関係で結ばれ、文学資料的にも貴重な多くの手紙や和歌を記した色紙綴などが残されていました。山田氏直系最後のひとりである稲垣ゆかりさんはこのことを後世に残したいといつも思っていたそうです。
  そして、たまたま平成14年に、教員だったご主人と一緒に教え子の同窓会に招かれ、少女時代をすごした高知県・土佐市で、かつて住んでいた家を訪れたとき、自分の生涯の記録を書いてみようと決心したのです。

 文章の勉強をしようと地元の文学会にはいって、1週間に1回の目標ですこしずつ書き溜め、1年間で目標の1冊の本にすることができたことが「あとがき」に記されています。確かに、文章を書きなれていないひとの場合、こうした教室や文学サークルに入ることはよいことかもしれません。技術的な勉強ができるという以上に、自分の書いたものを他人に読んでもらい感想をいってもらうことは、執筆という孤独な作業に「はずみ」を与えるという意味でも有益だと思います。

 参考のために、この本の簡単な構成と内容をを紹介してみます。基本的には時間の流れに沿った、ごく自然な形式の自分史といっていいと思います。

第1章 父と偉才 會津八一先生との巡りあい
 祖父が銚子から東京・浅草に移り、次男である父親の結婚、高知移住までを簡単にまとめている。中心は、この中の、若き日の父と會津八一や坪内士行との交流。子どもたちも多少の交流があった様子がわかる。当時の書簡や葉書なども写真にとって収録されている。
第2章 まだあげ初めし前髪の 私の幼少期
 五女として高知で生まれたゆかりさんの幼少期から少女期までの思い出の記録。武家屋敷、おかいこさん、河鹿蛙、娘浪曲師、懐かしの母校、愛犬ナナ、桂浜の潮騒、レンガ塀の家─など、見出しだけでも想像できるような戦前の生活である。この部分が本書で一番長い。やはりこの時代の思い出がいちばん懐かしいのかもしれない。
第3章 深い霧に覆われし私の青春
ゆかりさんは高等学校入学目前に肋膜炎になってしまう。時代は太平洋戦争のころ、その中で、長く苦しい闘病生活を送ることになる。戦後3年あまりたって新薬ペニシリンの効果で病魔がいえるまで、彼女の青春はまさに霧のなかにあったのでしょう。
第4章 行雲流水 西から東への長途つづく
 大津、東京、千葉と各地を転居、幼ななじみとの結婚、出産。戦後の生活は長かったが本書のなかでは一番短いのが不思議。
第5章 一期一会の思いをこめて
 本文のなかから漏れてしまったが忘れられない出来事の思い出を自由に書き綴っている。人生の思いもかけない出来事やひとたちとの出会い、別れが「一期一会」の言葉にこめられている。