自費出版の豊かな世界 その10 「読む」ことのできない小説集

 東京・北区の片山郷子さんから初めて電話をいただいた時「わたしは目がほとんど見えないんです」と告げられてちょっと驚きました。それでも自分の書いた小説をまとめた作品集を出したいのだということでした。数日後にお会いするとき、約束の駅の改札口に片山さんは友人とふたりでおいでなり、友人に腕を支えられながら階段をあがり、小声での注意にうなづきながら近くの喫茶店に移動しました。店の中で、片山さんは自分が「網膜色素変性症」と「緑内障」の二つの病気をもっていること、だんだん悪くなり、数年前から本を読むこともできなくなったことを話してくれ、「ポリバケツに書くような太いマジックインキ」でノートに大きな文字を書き、「これくらいでないと見えないのです」と説明してくれました。

 片山さんは若い頃から同人誌に所属してさまざまな小説を発表していました。女性の自立、人生の悲哀、性のモラルなどかなり重いテーマを描き、アマチュアではあるけれど、かなりの完成度をもった作品だと私は思います。すでに『愛執』という作品集も出版しています。  そんな彼女が、本人の言葉をかりれば「せっぱつまったような気持ちで」第二作品集をだしたいと思ったのはなぜでしょう。その気持ちを片山さんはこの作品集のあとがきに次のように書いています。
出来上がった自分の本を読むことが出来ないと考えると、なぜ本を作るのかという疑問が湧きます。「疑問」はいろいろな意味でわたしにとって大変「危険」なものですからそっと脇に置くように心がけています。疑問の裏から微かに聞こえてくる答えは「遺書がわり」というものです。もうひとつ記すと「未練」というようなものでしょうか。

 その後もEメールなどで「どんどん症状が進むようで気持ちがせきます」と率直な気持ちを送っていただきました。

 目の不自由なひとは意外に多いようです。特にある程度の年齢になり、全盲でなくても白内障、緑内障などで視力が衰えてしまうと、外出を控え、読書もままならない生活を送るようになることは珍しいことではないようです。しかし、そうした状態になっても(あるいはそうした状態だから、なおさら)自分のことを伝えたい、自分の過去の仕事、生きてきた証をまとめておきたいという気持ちは強くなるのでしょうか。本誌6号に掲載されている『シベリア抑留記』の著者である松嶋英雄氏の場合もその例かもしれません。

 しかし現実の問題としては実際に目が不自由になると、文章を読んだり、書いたりすることは、予想以上に、驚くほど不自由になります。それがなんとかできるのはひとつには、最新のテクノロジーのおかげです。片山さんも松嶋さんも、音声入力ソフトを使って文章を書き、方山さんの場合には、音声ソフトによってインターネットのホームページ作りや電子メールの送受信もやっています。実際に使用している電子メールの受信音声を聞かせてもらいましたが、かなり自然な声で最近のソフトウェアの進歩を感じました。

 今回の作品集もその修正にあたっては、作品のすべてをパソコンに入れ、音声で何度も何度も繰り返して聞いて直したということです。もちろん、書籍編集の工程では、そのための失敗も苦労もありましたが、当初予想したよりはるかにスムーズに作業が進んだことは確かです。もうひとつ(それ以上に)大事なことは友人や家族など周囲の手助けです。片山さんの場合も、校正を友人が手伝い、娘さんが修正を手助けしてくれました。
 こうして、できあがった『ガーデナーの家族』のカバーデザインをみると作者の文字が不自然に大きいです。これは「せめて名前だけでも自分の目で見たい」という片山さんの意志なのです。